2017年9月4日(月) – 10月29日(日)
平敷兼七(へしき けんしち,1948-2009年)は、アメリカの統治下の沖縄、今帰仁村(なきじんそん)に生まれ、61歳で亡くなるまで、生涯沖縄を撮り続けた写真家です。2007年に開催された写真展「山羊の肺 沖縄1968-2005年」で高い評価を得て、亡くなる前年に第33回伊奈信男賞を受賞しています。近年では、2015年にヒューストン美術館にて開催された展覧会「来るべき世界の為に 1968から1979年における日本美術・写真における実験」に選出されるなど、国内外で再評価が進んでいます。
高校時代に写真を始めた平敷は、1967年に上京し、新設されて間もない東京写真大学工学部(現東京工芸大学工学部)に入学します。学生運動全盛の頃、多くの同世代の写真家たちが政治運動に目を向ける中、平敷は沖縄の離島に足を運びます。そして本土復帰目前、沖縄の人々の生活こそ写真に残すべきであるという生涯のテーマを見つけ出します。
そこから家族、街の人、夜の女など、貧しさの中でも逞しく生きる人々を撮り続けました。確かな信頼関係を築きながら撮影された人々は、無防備とも言える自然な表情を見せています。平敷の被写体を尊重する姿勢によって写された人々の溌剌とした姿は、当時の沖縄自体をも色濃く記録したものとも言えるでしょう。「人生の結論は身近にあり、身近の人物達、身近の物達、それらを感じることができるかが問題なのだ。」亡くなる2日前の日記にある言葉どおり、身近なものへの愛、日々の大切さ、人間とは何かを、今日に生きる私達に優しく伝えてくれます。
本展では、平敷のライフワークといえる沖縄を記録した写真集『山羊の肺』(影書房, 2007年)と、1970年から80年代に撮影された、東京狛江市にある沖縄出身大学生の為の寮を撮影したシリーズ「南灯寮」から選んだ作品を合わせて展示いたします。
身近な人々や時代と真摯に向き合って記録された、時を経ても決して色褪せることのない平敷作品の魅力を、この機会に是非ご覧いただけたらと存じます。
沖縄県今帰仁村上運天生まれ。1967年 沖縄工業高校デザイン科卒業。1969年『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」発表、初個展「オキナワ・南灯寮」(タイムスホール/沖縄)開催。1970年『カメラ毎日』3月号にて「故郷の沖縄」を発表。1967年 東京写真大学工学部(現東京工芸大学工学部)入学(1969年中退)。1972年 東京総合写真専門学校卒業。1979年 山城見信著『美尻毛原の神々』宮城彦士とともに写真担当。1985年 嘉納辰彦、石川真生らと同人写真誌『美風』創刊。1991年写真集『金城美智子・光と影の世界』自費出版。自家版写真集『沖縄を救った女性達』『沖縄の祭り-宮古の狩俣島尻の夏プーズ』『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』。2006年 写真展『金武から来た女性』(新宿アガジベベー/他)。2007年写真集『山羊の肺』刊行(影書房)。沖縄県立博物館・美術館開館記念展「沖縄文化の軌跡1872-2007」出品。2008年 第33回伊奈信男賞受賞。2009年10月3日 肺炎で死去。
会期
2017年9月4日(月) – 10月29日(日)
開館時間
10:00~20:00
休館日
会期中無休
会場
東京工芸大学 写大ギャラリー
〒164-8678 東京都中野区本町2-4-7 5号館(芸術情報館)2F
TEL 03-3372-1321 (代)
地下鉄丸ノ内線/大江戸線 中野坂上駅下車 1番出口・徒歩7分
入場料
無料
展示作品
モノクロ写真作品 約180点
主催
東京工芸大学 芸術学部
企画・構成
勝倉 崚太 写大ギャラリー運営委員
トークイベント
展覧会にあわせ、平敷兼七を詳しく知るお二人をお招きしたトークイベントを開催いたします。
またイベントに先がけ、当日14:00からは、今 理織氏がディレクターを務めたドキュメンタリー番組を上映いたします(芸術情報館1F AVセミナー室にて)。
棚谷 克巳氏は沖縄放送局にディレクターとして赴任していた際に、生活のためNHKで時折アルバイトをしていた平敷と出会う。勉強家で沖縄史や基地問題、祭りや民謡にも詳しかった平敷は、数多くのドキュメンタリー番組の撮影を助けた。今 理織氏は平敷の没後その作品に魅せられ資料を探り、自らがディレクターとなって日曜美術館「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」を制作・放映。
お二人が体感した平敷兼七の、人の尊厳を大切にしたという人柄や、被写体への愛、作品への思いなどを、対談形式でお話いただきます。
2017年9月30日(土) 15:00 ~16:00(入場無料・申込不要)
登壇者:棚谷 克巳氏(NHKエグゼクティブ・プロデューサー)、今 理織氏(NHKディレクター)
会場:東京工芸大学 写大ギャラリー
平敷兼七
「山羊の肺」より 与那国 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 嘉手納基地 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 本部 1973年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 辺野古 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 屋ヶ名 1969年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 辺野古 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 具志川 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 古宇利 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 八重山新川 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 北中城 1980年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 浦添泉町 1975年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 南大東 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 泉町 1975年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 辺野古 1972年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 真栄原新町 1968年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 泉町 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 浦添 1975年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 浦添泉町 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 南大東 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 南大東 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 宮古池間 1972年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 宜野湾 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 名護 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 泉町 1985年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より コザ 1980年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 那覇 1976年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 具志頭 1988年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 南風原 1976年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 北大東 1970年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 今帰仁上運天 1971年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「山羊の肺」より 浦添 1988年
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント
平敷兼七
「南灯寮」より
ゼラチン シルバー プリント