展覧会概要

 明治33年、佐渡島の富裕な農家に生まれた近藤福雄さん(1900-1957)は、17歳(大正6年)頃から写真に熱中し、暗箱カメラを担いで全島を駆けめぐり、57歳(昭和32年)で生涯を終わるまでに8800枚余りのガラス乾板(キャビネおよび手札)を遺しました。

 佐渡のあらゆる対象に眼を向けた近藤さんの写真は、自身の旺盛な知的好奇心、生来の人付き合いのよさと卓越した行動力によって生み出されたものです。近藤さんは、外出の時はいつもカンカン帽に下駄履きの和服姿で暗箱カメラと三脚を担ぎ、島の人々との交流を楽しみながら写真に熱中していた‘島の名物男’でもありました。また、近藤さんは、佐渡を訪れた多くの政治家・文化人らを撮影し、彼らとの交際を深めては多方面にわたる知識を得ていました。このようにして考古学、植物学、観光開発などに強い関心を抱いた近藤さんは、写真だけでなく佐渡の各種文化事業にも大きく貢献しています。

 大正から昭和初期にかけての日本の写真表現は“芸術写真”や“新興写真”といわれる時代にありました。また、アマチュア写真家が各地で写真団体や研究会などを組織して、様々な写真表現を試みていた時代でもあります。近藤福雄さんは、これらの活動の中心であった東京や大阪の写真団体ともほとんど交流を持たずに、佐渡で独自の写真活動を続けていました。近藤さんの写真は、佐渡の貴重な風土の記録であるとともに、人々との係わりの豊かさと写真への深い愛から生み出される心のスケッチとして、表現的にも独自の世界を創っています。

 近藤さんが亡くなられた後、(財)佐渡博物館に収蔵されてあったガラス乾板を写真家の富山治夫氏がその価値を見いだし、同博物館で焼き付けをして、写真の整理を行いました。その後、同氏によりこの作品がカメラ雑誌等に発表されて、ガラス乾板写真の貴重な存在が明らかになりました。1994年には、富山治夫氏が総合編集した近藤福雄写真集「佐渡万華鏡」が出版されています。また、昨年、富山治夫氏はガラス乾板から全紙に引き伸ばした近藤福雄作品60点を本学に寄贈してくださいました。
 
 本写真展は、この作品をもとに富山治夫氏のご協力により開催いたします。さらには、近藤福雄さん自身が当時焼き付けた写真を近藤福雄さんのご子息・寿雄氏より貸与いただき、これらを合わせて展示いたしました。ここに富山治夫氏、近藤寿雄氏とご後援いただきました(財)佐渡博物館に対しまして深く感謝の意を表します。