水浴び 静岡県伊豆狩野川
1936(昭和11)年

若い看護婦 日本赤十字 東京麻布
1938(昭和13)年

傘屋
1938(昭和13)年頃


展覧会概要

1935年から1945年は、土門拳が、「報道写真」の理念をドイツから日本に持ち帰った名取洋之助(1910−1962)の主宰する日本工房に採用され、後に外務省の外郭団体である国際文化振興会の嘱託や、内閣調査研究動員本部への所属などを経て終戦を迎え、フリーランスの写真家として活動を開始するまでの期間にあたります。

 日本工房へ入社した土門は、当初は明治神宮での七五三スナップ、早稲田大学、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の卒業アルバムなどの撮影を担当していましたが、1936年に取材で訪れた伊豆での写真が、対外宣伝のためのグラフ誌『NIPPON』8月号に掲載され、これが土門の写真が初めて仕事として雑誌に掲載されたものになります。

 土門は1939年に日本工房を退社し、外務省の外郭団体 国際文化振興会の嘱託となります。(1943年に辞職)1945年には内閣調査研究動員本部に参事として所属しますが、敗戦により完全にフリーランスの写真家として活動を始めることになります。

 この時期の土門の作品群は、戦後の代表作となる「ヒロシマ」や「筑豊のこどもたち」、あるいは「風貌」「古寺巡礼」などに通ずる確かな視線の礎石となっていると言えます。

 本展は、土門の初期作品群を概観しながら、被写体や世相を見つめる土門の視点や思想、そして、戦後の作品へとつながる土門の確固たる美意識を、改めて見直す機会になればと存じます。


基本情報


会期2017年1月23日(月) ~ 2017年3月24日(金)
10:00 ~ 20:00 会期中無休・入場無料
会場東京工芸大学 写大ギャラリー
〒164-8678 東京都中野区本町2-4-7 芸術情報館2F
TEL 03-3372-1321 (代)
地下鉄丸ノ内線/大江戸線 中野坂上駅下車 1番出口・徒歩7分
展示作品モノクロ写真作品 58点
企画・構成吉野 弘章 写大ギャラリー運営委員長
堀田 文(写大ギャラリー専門職員)

作家プロフィール

土門 拳 (どもん けん, 1909−1990)

山形県酒田市生まれ。中学時代より画家を志すが、家の事情で断念。1933年に営業写真館である宮内幸太郎写真場の内弟子となるが、報道写真家を目指し、1935年、ドイツから帰国した名取洋之助が設立した日本工房に入社。戦後は絶対非演出の「リアリズム写真」をカメラ雑誌などで提唱し、写真界に大きな影響を与えた。1958年に写真集『ヒロシマ』(研光社)を刊行、国内外で高い評価を得る。筑豊炭鉱地帯の窮状を取材した1960年刊行の写真集『筑豊のこどもたち』(パトリア書店)は10万部を超えるベストセラーとなる。その後、仏像や寺院、古陶磁などの伝統工芸品や風景など、一貫して日本を撮り続けた。

                             企画・構成 吉野 弘章(写大ギャラリー運営委員長)
                                   堀田 文(写大ギャラリー専門職員)